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新潟の発展は分水にあった

 3月11日 土曜日

 今日の行程は次の記事に載せます。
 昨日のみなとぴあで仕入れた大川津分水などの分水事業について、見学に行きましたので11日の行程から抜き出してレポートします。

 朝一番にでかけたのは信濃川下流の「関屋分水」です。信濃川氾濫による被害から下流域を守るために川のバイパスを作ったというものです。理由も工事内容ももっと複雑なのですし住んでいた人たちの引っ越しがありますし、簡単に言い過ぎましたか?なんて思っています。
 下の写真で信濃川から日本海へと赤で示したバイパスを作り水を流そうというものです。上が日本海です。
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 実際の現在の写真がこちらです。左側の幅の広く見える(実際は信濃川のほうが広い。)川が人工の川です。洪水のときはすべて水をこちらに流します。幅が狭く見える信濃川下流で大雨が降れば堰で水が信濃川に流れないように水門を閉じ、信濃川の水量を減少させます。
 これだけの人工の川を作るのは大変なお金と労力がかかったに違いありません。
 それにしても初めて見る人はバイパスが人工の川とは信じられないかもしれません。
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 実際に見に行くと水門に洪水の際の水の流し方の解説の大看板がありました。
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 信濃川への水の流入をコントロールする水門です。
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 上から見た写真です。氾濫に備えて昔は川幅は広かったのでしょうが、現在は水量がコントロールされているので川幅は狭くてすみます。下流の萬代橋の長さが初代は約800メートルであったものが半分となっています。
 これは関屋分水だけではなく上流の大川津分水のおかげでもあります。
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 バイパス下流には色々な設備が設けられています。これは海と川を遮る最下流の堰です。
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 沖を見ると気持ちの良い雄大な外海が広がっています。
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 関屋分水の上流に大川津分水があります。関屋分水が新潟中心地を氾濫から守っているのに比べ、こちらは新潟平野を守っていると言えそうです。
 写真手前を左から右へと流れるのが信濃川です。信濃川に水門が設けられています。
 そして、左上を流れているのがバイパスの分水路です。人工の川とは思えませんね。
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 洪水などのときに堰の水門を開けたり締めたりする原理の説明がありました。
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 大川津分水資料館では3年に1度洪水に見舞われ、鳥マタギと嫌われる米しか作れなかった新潟が米どころとなった要因の大川津分水の計画から工事など詳細に説明してありました。
 当時の日本の人口が4400万人、この難工事には延べ1000万人と莫大な資金が投入されました。

 下流の橋を渡るときに人工の川と気づく人は少ないと思います。それほど広く大規模なバイパス(分水路)です。私なんかは信濃川が何で新潟市内の手前にあるんだろうと長らく疑問に感じていたほどです。

 この写真からも幅の広い、深さのある川を造成していることがわかります。
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 「大河津洗堰」。
 主に信濃川本川に流す水量をコントロールし、普段は日々の生活や田畑で使う水を一定量流し続けます。その水量は1秒間で25mプールが満杯になる(270?/s)量となります。
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 「大河津可動堰」。
 主に大河津分水路に流す水量をコントロールしており、上流から流れてくる水量によってゲートを開けたり閉めたりします。少し丸い形をした「ラジアルゲート」が採用され、ラジアルゲートとしては日本一大きな堰です。
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 いやぁ、勉強させてもらいました。
 関屋分水は50年、大川津分水は100年になります。水の都新潟と言われますが、先人のものすごい努力に支えられ今日を迎えていることがよくわかりました。
 暴れ川と言われた日本最長の信濃川(長野県では千曲川)の洪水をゼロにした先人の努力にはすごい!としか心言いようがありません。

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