仙台の奥座敷秋保で大滝を見て多賀城跡で蝦夷との戦いに触れる
- 2017/02/04
- 06:43
道の駅村田から出発します。仙台方面は混んでいますので避けて仙台の奥座敷秋保温泉を訪れます。仙台もサラリーマン時代にご縁があり長町に住んでいたことがあります。国分町など40年前ですが盛り場でした。今は新幹線が通り大きく変貌しているのではないかと思います。大都市は避けるのが本ブログのポリシーですので仙台シティは行きません。

おっと、こんなところに支倉常長生誕地があった。

秋保温泉には入ってきました。

古い温泉街は共同浴場があるのがいいですね。


さすが大きな温泉街です。

近くの秋保神社にお参りしていきましょう。
秋保神社は、平安初期の大同三年(西暦808年)、征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷平定の折、この地に熊野神社(現在は摂社として御本殿の南脇に鎮座)を祀ったと伝えられ、壱千二百年の歴史を有する由緒ある神社です。


東北の絶景地と言われる秋保大滝にやってきました。

秋保大滝不動尊があります。お参りします。


滝の下まで行くと迫力があるということですが道が悪く滝見台からの眺めで我慢です。


滝を楽しんだ後は一気に日本三景松島方面を目指します。
まずは塩釜神社にお参りです。日本は神社が多いです。ブログを書いていても毎日のように神社にお参りしています。それにしても塩釜神社の階段の坂は急すぎませんか。







夕方になってきました。近くに多賀城跡がありますので寄ります。
多賀城跡は、古代の城柵跡。指定名称は「多賀城跡 附寺跡(つけたりてらあと)」です。東の塩竈(しおがま)市から延びてくる低い丘陵上に立地しています。724年(神亀1)、後に按察使(あぜち)になる大野東人(おおののあずまひと)が築城したとされ、奈良時代以降、蝦夷(えみし)を制圧する東北経略の基地となりました。当時は平城京を中心に、東に鎮守府兼陸奥国府としての多賀城、西に大宰府(だざいふ)が置かれました。





城跡が古すぎてピンときません。近世の城のように堀や石垣があるわけではありませんから。
今日は道の駅おおさとで車中泊です。

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おっと、こんなところに支倉常長生誕地があった。

秋保温泉には入ってきました。

古い温泉街は共同浴場があるのがいいですね。


さすが大きな温泉街です。

近くの秋保神社にお参りしていきましょう。
秋保神社は、平安初期の大同三年(西暦808年)、征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷平定の折、この地に熊野神社(現在は摂社として御本殿の南脇に鎮座)を祀ったと伝えられ、壱千二百年の歴史を有する由緒ある神社です。


東北の絶景地と言われる秋保大滝にやってきました。

秋保大滝不動尊があります。お参りします。


滝の下まで行くと迫力があるということですが道が悪く滝見台からの眺めで我慢です。


滝を楽しんだ後は一気に日本三景松島方面を目指します。
まずは塩釜神社にお参りです。日本は神社が多いです。ブログを書いていても毎日のように神社にお参りしています。それにしても塩釜神社の階段の坂は急すぎませんか。







夕方になってきました。近くに多賀城跡がありますので寄ります。
多賀城跡は、古代の城柵跡。指定名称は「多賀城跡 附寺跡(つけたりてらあと)」です。東の塩竈(しおがま)市から延びてくる低い丘陵上に立地しています。724年(神亀1)、後に按察使(あぜち)になる大野東人(おおののあずまひと)が築城したとされ、奈良時代以降、蝦夷(えみし)を制圧する東北経略の基地となりました。当時は平城京を中心に、東に鎮守府兼陸奥国府としての多賀城、西に大宰府(だざいふ)が置かれました。





城跡が古すぎてピンときません。近世の城のように堀や石垣があるわけではありませんから。
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