備後竹田と原尻の滝を楽しむ
- 2017/01/05
- 06:58
昨日は阿蘇までご案内しました。
今日は東へ向かいます。大分県です。前回記事と今回記事で一日分と思って記事を作成しています。
阿蘇から国道52号線を東進していきます。
参考 国道57号線について現在は阿蘇大橋崩落のため一部不通になっています。
備後竹田に着きました。竹田と言えば「春高楼の花の宴・・・・」の岡城跡ですね。

早速見物です。なかなか立派なお城ですよ。
岡城は、文治元年(1185)大野郡緒方荘の武将緒方三郎惟栄(これよし)が源頼朝と仲違いをしていた弟 義経を迎えるため築城したと伝えられています。海抜325mの台地、岡城阯その広さは実面積で100万㎡、その広さは東京ドーム(46.755㎡)の22個分にあたるそうです。




登ったところにも案内図がありました。石垣だけとなっていますがとても貫禄のある城跡です。

「荒城の月」作曲の滝廉太郎の像があります。滝廉太郎のゆかりの地として富山があります。小学校低学年を富山で過ごされているそうです。

折角ですので竹田の街を散策しましょう。








のどかで、それでいて古いいいものを残している町です。一発で好きになりました。

更に東進します。備後大野の原尻の滝に着きました。

滝と言えば吊橋がないと絵になりません。


このような形の滝は珍しいですね。日本の滝百選の一つで東洋のナイアガラとか大分のナイアガラと言われています。


もう一つ滝を見に行きましょう。原尻の滝から近いです。沈堕の滝です。


今日は道の駅原尻の滝で車中泊です。

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今日は東へ向かいます。大分県です。前回記事と今回記事で一日分と思って記事を作成しています。
阿蘇から国道52号線を東進していきます。
参考 国道57号線について現在は阿蘇大橋崩落のため一部不通になっています。
備後竹田に着きました。竹田と言えば「春高楼の花の宴・・・・」の岡城跡ですね。

早速見物です。なかなか立派なお城ですよ。
岡城は、文治元年(1185)大野郡緒方荘の武将緒方三郎惟栄(これよし)が源頼朝と仲違いをしていた弟 義経を迎えるため築城したと伝えられています。海抜325mの台地、岡城阯その広さは実面積で100万㎡、その広さは東京ドーム(46.755㎡)の22個分にあたるそうです。




登ったところにも案内図がありました。石垣だけとなっていますがとても貫禄のある城跡です。

「荒城の月」作曲の滝廉太郎の像があります。滝廉太郎のゆかりの地として富山があります。小学校低学年を富山で過ごされているそうです。

折角ですので竹田の街を散策しましょう。








のどかで、それでいて古いいいものを残している町です。一発で好きになりました。

更に東進します。備後大野の原尻の滝に着きました。

滝と言えば吊橋がないと絵になりません。


このような形の滝は珍しいですね。日本の滝百選の一つで東洋のナイアガラとか大分のナイアガラと言われています。


もう一つ滝を見に行きましょう。原尻の滝から近いです。沈堕の滝です。


今日は道の駅原尻の滝で車中泊です。

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